2012年2月23日木曜日

【第7弾】女川 仮設住宅訪問記(Feb12)/水野牧子さん


雪の気仙沼駅


2日目

朝、目を覚ますと外は真っ白に吹雪いている。昨日はあんなに晴れていたのに・・・。でも市街を抜けて沿岸へ向かうと前日と同じく雪はどんどん減っていった。沿岸をずっと走り、小さな漁港があったはずの場所を数えきれないほど見た。マリンパルというあんこう祭りが行われている小さな海産物マーケットに立ち寄る。残念ながら私たちが行ったときにはあんこう汁は終わっていたが、代わりにつみれ汁を振舞っていただいた。生のつみれを使っているので本当に美味しい!思わずお代わりをしてしまった。小さな敷地だったが石巻焼きそばやホタテの屋台などがあり、応援ツアーの観光バスもちょうど入ってきてなかなか活気がある。何より被災されたであろう地元の人たちが、なんだかホッとしたようなゆるんだ表情をしていたような気がした。海の幸を売って生活の糧にする日常、もちろん被災前とまったく様相は異なるけれど、復興の一歩が本当にこういう小さなところから始まるのを実感した。


建物の中に入り昼食をいただき、お店の女性とも天気やビタミン計画の活動の話をした。店を出るとき、またお手伝いに来ますねと言うと泣きそうな表情で本当にありがとうございます、と言われてしまった。本当に、微々たるお手伝いに過ぎないが、復興の仕方もスピードも何もかも手探りの現状で、私のような市井の人間がすべきことはこうやって東北を時々訪れて、地元の人たちのペースに合わせてゆるく見守ることなんだろうと思う。


女川桐ヶ崎地区の仮設住宅に着く。今回急遽参加してくださったSさん・Tさんも一緒に一軒一軒を回る。一番最初に来たときは緊張したなあ・・・何せ呼び鈴などないので、サッシをノックしつつ外から声をかけて、出てきてもらうのを待つしかなかったのだ。いきなり来て怪しいと思われないかどうか心配だった。今は大声で「お野菜持ってきましたー」というと、「ああいつものね」といった感じで、「あがってお茶でも飲んでいきなさいよ!」と言ってもらえたりするのが本当に嬉しい。今回はさらにチョコレート・クッキーもあり、「バレンタインが近いので」と言って渡すと「あらあじゃあ息子にあげようかしら」などととても喜んでもらえた。


結局ほとんどの世帯のみなさんに直接渡すことができ、最後に一軒の女性宅にSさんとお邪魔させてもらう。Sさんが東北訛りの言葉を操ることもあって、お茶っこもかなり盛り上がり、地元の色々な話を聞くことができた。特にその女性がパートで働いているという蒲鉾の高政の話は面白かった。震災前から新しい工場が建設中で、最近本格的に稼働しはじめたということだ。またこの会社は地元のサッカーチームのコバルトーレ女川を応援していて、最近チームが活動を再開した。選手たちのほとんどはこの工場で働いていて、仕事が終わってから練習しているらしい。「みんな背が高くて素敵なんだけど、マスクと帽子してるから誰が誰だか(笑)」「でも社長さんだけじゃなくて、働いている人みなが本当に優しくていい人ばかりなのよ」


地元にそんな元気な企業があるというのはとても心強い。そして蒲鉾はとても美味しいらしい。ぜひ私も買わなければ・・・。さらに彼女の震災前の生活や結婚観などの話で大盛り上がり、あっという間に時間は過ぎた。やはりこうやっておしゃべりをして過ごすのは楽しいな。また祖母のことを思い出していた。もし彼女がここに住んでいたら、やはり私は毎月のようにここを訪れて一緒に時間を過ごしたと思う。いつも私が来ただけでとても喜んでくれた。それを思い出すと、一層「またここに来たい」という思いが深まるのだった。

(↓出発前にクッキーの袋に入れるメッセージを書いている様子です)


最後になりましたが、今回から、プランター隊の活動にはビタミン計画の寄付金から活動経費をいただくことになりました。ご了解いただきました賛同者の皆様に改めて御礼申し上げます。なかなか現地に足を運ぶことが難しい状況の方も大勢おられると思いますので、皆様の気持ちを現地の方にお届けできるよう、活動を続けていきたいと思っています。

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【第6弾】気仙沼 仮設住宅訪問記(Feb11)/水野牧子さん




ビタミン計画サポーターの皆様、いつもご支援ありがとうございます。2月の現地活動をご報告させていただきます。今回ちょっと長いので2部にわけてみました。お手すきの時にでもゆっくり読んでいただければと思います。


===


1日目


夜行バスで東京を出発し、早朝に古川へ到着。周辺には雪が少し積もっていたがレンタカーで沿岸方面へ行くにつれて雪が少なくなっていく。途中、大谷海岸道の駅で手配していた野菜をピックアップ。仕分け中に男性が声をかけてくれた。「大きな仮設には援助が入るんだけど、このあたりのような小さいところにはなかなか誰も来てくれないから本当に助かりますよ」


道の駅では地元のお米、卵、野菜のほかに鮑やうにのおにぎりなど、三陸ならではのおいしい食べ物が色々、そして自分用に色々買い込む。近くのレストランで海鮮丼をいただいたあと、土が盛り上がって捻られたようになった線路を越えて砂浜に降り、改めて三陸の海の美しさに感嘆する。曇り空の下でもまるで沖縄の海のような美しい色と透明度。ここに住んでいる人たちがこの穏やかな海をどれだけ愛していただろうか、と思いを馳せる。震災まで三陸のことをほとんど知らずにいたのはもったいなかった。周辺では民宿も少しずつ再開している様子、夏までにぜひ海水浴場も再開されるといいのだけれど。





今日訪問の小泉の仮設住宅では皆さんが約束の時間に集まってくださっており、それぞれお野菜とお肉が入った袋にバレンタインが近いということでチョコレート、手焼きのクッキーを手渡しした。チョコレートはちゃんとラッピングされていてなかなか見栄えがするもので、クッキーにも袋ごとに一言メッセージがついていて女性陣に喜ばれた。


立ち話の中心はやっと建設が決まった集会所のこと。役所や関係機関をお願いに駆け回った代表の奮闘がついに実ったのだ。着工はまだだったけれど駐車場だった予定地にはアスファルトが敷かれている。無事完成の暁には皆でお祝いしましょう、とか、ここは子供が多いので漫画や本があるといいとか、大工仕事が得意な男性がたくさんいるのでベンチも、等楽しみなアイデアもたくさんでてきた。寒い中の立ち話だったけれど、皆さん寒さを忘れるような明るい笑顔だ。この仮設住宅をはじめて訪れたたときは正直何回通い続けられるか、こちらの押しつけの活動になってしまわないか等色々なことを考えていたけれど、こうやってみなさんと楽しい話をできるようになり、またそれがこれからもここへ通い続けたいという自然な気持ちが自分の中に生まれるのにつながっていることがとても嬉しい。



夜は気仙沼駅近くで宿泊。夕飯に寄った居酒屋では、お店のテレビで地元の信用金庫が被災企業へ融資を行う様子に密着したNHKの番組を流していた。じっと見ていたら女将さんがあの日の話をしてくれた。家のところまでは津波はこなかったけれど、もちろん当日の揺れはすさまじく何日も電気やガスなしで過ごし、今でも怖くてあの日から一度も港に足を運べていないという。こんなとき、いつもかける言葉が見つからない。でも港に行く必要なんてないですよ、片付けとか私たちがしますから、そのために来ているんですから、とだけ言った。


その夜も(正確には早朝)、東京では最近はあまり経験しないような大きな地震がまたあった。(2日目に続く)

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2012年2月22日水曜日

【第6弾】【第7弾】気仙沼・女川 仮設住宅訪問記(Feb11, 12)/岩正人さん

12月に続いて、今回も派遣部隊として行ってまいりました。
ビタミン計画の皆さんにご報告したいと思います。


 11日朝 古川駅から



<小泉、桐ヶ崎 仮設住宅訪問のこと>

・今回は、小泉(気仙沼市本吉町)と桐ヶ崎(女川町)両方の仮設住宅にお邪魔してきました。
・両方に共通して感じられたのは、月イチ(未満)の派遣部隊ですが、少しずつ仮設住宅の皆さんに覚えてもらえてきたなあということ。 勿論、代表の方はビタミン計画のことを理解されていますが、他の方も少しずつ顔を覚えてくれてきたように感じますし、会話も少し増えてきたようです。ちょっとした立ち話や集会所での「お茶っこ」を通じてそんな風に感じ、嬉し​く思いました。
それと、野菜の美味しさを覚えていらした方もいらっしゃいました。僕も買って食べたことがありますが、ビタミン計画でお届けしている「道の駅 石神の丘」さんの野菜って、本当に美味しいんです。ちょっと誇らしい気持ちになります。(自分が作ったわけじゃないんですが)
おまけに、野菜は最近高いので助かるわとおっしゃっていました。

それと、 今回はバレンタインデー直前ということで、派遣部隊の女性たちが準備してくれたバレンタインチョコと手作りクッキーも配りました!
チョコやクッキーを渡すと、皆さん顔がほころぶんです。大成功でした!


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


・小泉では、前回同様に代表のお宅の辺りに皆さんが集まってこられ、そこでお野菜をお渡ししながら、しばしお話ししました。ようやく集会所が出来ることが決まり、皆さん嬉しそうに話しておられました。
集会所といってもそう広いものではないそうですが、それでもあるとないとでは大違いですし、小学校から高校までのお子さんが10人近くいることもあり、ちょっと集まれるスペースがあったらいいのにと、ずっと待ち望まれていま​した。市や県に繰り返し交渉し苦労してこられただけに、嬉しさもひとしおでしょう。(そもそも何でこんなに苦労しないといけないんだ?という疑問を感じてしまうのですが)
集会所が出来たら、みんなでゆっくり来てねと、嬉しそうにおっしゃって下さいました。


・桐ヶ崎では、派遣部隊への助っ人SさんとTさんも加わり、4人で1軒1軒回って野菜をお渡ししてきました。
日曜のせいか留守は少なく、殆どの家に直接お渡しすることが出来ました。中には「お茶でも飲んでいきなさいよ」と言ってくれる家もあり、嬉しくなります。
配り終えた後、Tさんと僕、Sさんとマキちゃんの二手に分かれ、Tさんと僕は集会所で何人かの奥さんたちとのお茶っことなりました。

奥さんたちがふるまってくれた、つぶ貝やめかぶ、新鮮なワカメの料理、白菜のお漬け物などをいただきながら(どれも美味しかった♪)、工事が行われ満潮時にも冠水しなくなった道路のこと、漁業の再開に関すること、普段の暮ら​しのこと、女川の海の幸のことなど、いろんな話を伺いました。
漁船を手に入れ養殖を再開し春の水揚げを目指されてはいても、揃えなくてはいけない資材はまだまだあり、それぞれ何十万から高いものでは千万単位の資金が必要になるのだそうです。助成金も出るが自己負担も当然必要。
また、放射線の影響が出て出荷できなくなったらどうしようかと、不安を口にされる方もいらっしゃいました。
目の前で一切合切流されたところから気持ちを立ち直らせ、仮設住宅で不自由な暮らしをしながら何とか漁船を調達し復興に向けて頑張っていても、足りない資材はいくつもあり金もかかり、おまけに放射線被害の不安が残る。
何も言葉を返すことが出来ませんでしたし、かっこよくお手伝いすることも出来ません。ただお話を伺うことしか出来ませんでした。

ビタミン計画派遣部隊の活動で具体的な問題を解決するなど出来ません。
ですが、仮設住宅の皆さんにお会いしていると、我々の活動はおそらく無駄じゃない。助かったと言ってくれる人がいるし、ちょっとした嬉しさにつながっている。そう感じます。野菜を有難いねと受け取ってくれます。
震災から1年近く経ったといっても、依然として先が見えないままの方たちもいらっしゃいます。そんな中では、継続的に活動していくことがとても大事なのではないでしょうか。



<被災地の復旧、復興と、残り続けるもの>

・今回は、国道をそれて小さな漁村や入り江を通る道も走ってみました。
女川へも石巻を経由するルートではなく、志津川から追波、雄勝を抜けてリアスブルーラインを通るルートで行ってみました。
瓦礫はたいていの所で片付けがされていますし、道路も片側通行こそあれど通れないようなことはありませんでした。
そして、海では養殖が再開されていました。漁船も並び、確実に復旧が進んでいることが分かります。




・一方で、津波被害の跡が消えてなくなるわけはなく、集落も田畑もなくなってしまった荒れ地のような誰もいない土地が、そこここに残されていました。
1軒の家も残っていないがらんとした土地を見下ろすように真新しいお墓が並​んでいたところもありました。
そしてまた、どうやったら処分できるのか想像もつかない程、大きな瓦礫の山が出来ていました。




・結局のところ、津波被害の跡というのはそんな簡単に消してしまえるものではなく、これからもずっとその土地に残り続けるのだということ、そして、失くなってしまった町や村、生活は戻ってこないのだという、言わば当たり前の​ことを、ずしっと感じた旅でした。



<そのほかのこと>

・今回、12日だけですが、仙台からSさんとTさんのお二人が参加してくれました。
おかげで、野菜の仕分けでとても助かっただけでなく(これが意外と大変なのです)、土地の言葉も地元の事情も分かるので、桐ヶ崎の奥さんたちとのコミュニケーションに大助かりでした。感謝!
派遣部隊のメンバーは別に固定的なものではないですし、僕も毎回行っているわけではありません。これからも新しいメンバー歓迎であります。

お約束のように、今回も三陸の海の幸をいただきました♪
桐ヶ崎でいただいたお料理、大谷海岸のあわびおにぎり、はまなす海洋館の海鮮丼、気仙沼の居酒屋料理、どれも美味しかった♪
お昼をいただいた「はまなす海洋館」は、津波被害からようやく再開したばかりのレストランで、とても美しい大谷海岸に面していて、ウエディングも行っています。
その日もウエディングや同窓会などで賑わっていました。
レストランのお客さんは地元の方が多く、そして、どの方もゆっくりと食事を楽しみながらおしゃべりを続けていたのが印象的でした。
こうした、小綺麗でゆっくりおしゃべりを楽しめる店も、今まではなかったのでしょうね。  





・12日の明け方、少し大きい余震がありました。
気象庁の発表では大した震度ではなかったですが、実際にはホテルのベッドがゆっさゆっさと大きく揺れ、思わず身構えたほどでした。
以前、岩沼市のボランティアに参加した時にも大きな余震が何度か来たことを思い出しました。
随分余震が減った首都圏あたりと違い、今も余震が起こり、不安を感じざるを得ない。 復旧・復興が進みどんどん変化していきつつも、今だに多くの不便や不安に直面しているのも事実だということを、余震にまで思い知らされたような夜でした。



<今回の写真アルバム>

   webアルバム

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2012年2月19日日曜日

【第7弾】女川・仮設住宅訪問記(2月12日)/Sさん

  今月の現地活動報告、まず最初は、宮城県在住でブログ女川 史上最大の復興の筆者Sさんのレポートをご紹介致します。Sさんとは、ビタミン計画開始間もなく、亘理町応援団越山様の紹介でご縁ができました。以来、色々と相談に乗って頂いております。
  町の事情に詳しいSさんに、桐ヶ崎の方達はすぐに打ち解けて下さったようです。お茶っこの席では、お勤め先の話から結婚や人生(!?)についても話題に上ったとか…。 Sさん、ご参加本当に有難う御座いました!


  “今回ビタミン計画さんの訪問メンバーに欠員がでたということで、急遽お声をかけていただきました。仕事の都合で参加できたのは日曜日の女川訪問だけでした。

  震災後個人で動く中で縁あって女川と関わりを持つようになりました。昨年5月に女川の物資本部を訪ねて以来今回で5回目か6回目の女川訪問です。始めの頃はまだ体育館に数百人の方がおられ、瓦礫の隙間に道路だけがあっただけの町を思うとずいぶんときれいになり、11ヶ月という時間の流れを感じずにはいられません。
  これまで避難所を訪ねたことはあり、又、女川の関係者と何度も話をしてきましたが、仮設住宅を訪ねそこにお住まいの方と話をするのは初めてです。

  昨年秋に就任された女川の新町長は大変精力的な方で、自らがプレゼンターとなり、町内だけでなく県内各地でも女川の復興計画を説明して回っておられます。私たちが女川を訪ねた前日には仙台で説明会が開催され、100名ほどが出席されたそうです。
 復興計画は、居住地と非居住地のエリア分け、公営住宅の予定地と戸数、用地買収等かなり具体的に進んでいるようです。

  たいていの場合、私たちが知るのはここまでです。復興計画が出来たね、家を建てる場所も決まったよ、再建が無理なら公営住宅に入れるよ、良かったね。

そのように見えていました、今までは・・・

  でも、今回その先の部分を私は知りました。町の復興計画が決まったら次は個人の計画、人生設計を組みなおさねばならないのです。
  この町にとどまるのか、もう一度家を建てるのか、或いは公営住宅に入るのか、町を離れた子ども達はどうするのか、これからたくさん考え、決めていかねばなりません。
  私のように転居を重ね、玄関を開けたらお隣の玄関が目の前にあるような暮らしの者は引越しもアパート暮らしにも何のためらいもありません。でも、女川を含めた浜の多くの皆さんは、先祖代々の大きな家に住み、3世代4世代の大家族で暮らしてこられました。そんな方々が、例えば家を建て直すのは難しいと判断したところで、仮設住宅よりは広いでしょうが狭い集合住宅での、場合によっては単身入居をする、という決断をするのは容易なことではないと思います。
  すでに再建の決意を固められた方もおられるでしょう。でも、まだ何も決められずにいる方もおられます。何も決まっていない状態というのは、とても不安定で心が落ち着かないものです。住民の方が何度もおっしゃった「これからどうなるんだっぺねぇ」という言葉に、私たちが想像する以上に辛い過程なのだろうと思いました。

  最後のお一人に本当の笑顔が戻る日まで寄り添い続けられる支援でありたいと、切に願った女川訪問でした

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2012年2月18日土曜日

【第46弾】岩手県大槌町+1月ご支援金の集計

【第46弾】大槌
お届けは、3日に完了しております。今回も集落の代表から、お礼と現状報告のお便り頂いております。全て読んで頂きたいです。本日は、原文ママで掲載致します。
野菜が高くてなかなか買えないと皆さんおっしゃっていまして
大変喜んで助かると本当に喜んでいました。
お話を皆さんに伺って来たのですが、途中から税金が来たので
食費他を切り詰めないと生活が苦しいとの事でした。
それは自宅があるかたも同じで生活が苦しすぎて辛い、税金が昨年末前から
きだして、生活費をほとんど税金にとられると嘆いていました。
家を無くした方はまだ税金も満額きませんが家がある人は満額を少ない期間で
支払いすることになります。
お葬式にもお金を大量に使っているので家計は火の車です。
特に家がある人は今までお金をもらっている訳でもありませんので
収入がなかった期間を何とか通常に戻そうと頑張っている間に
税金が来て、借金でもしないとこれからもっと苦しくなると話していました。


また一階に津波が入った方々は修理が終わるまで仮設に入っていますが
役場では早く直して仮設住宅から出て欲しい、早く直してと急がせ
仮設から早く出そうとしているようです。
家が直っても諸々の食器、家電他の準備もあるため、すぐには出ていけないのですが
直ったら、すぐ出ていけと急がせて出ていかせているようです。
何でこんな事をされるのか、こっちは大変なのにと困惑されていました。
家の修理だってお金を貸してもらないと修理も出来ないのに修理も仮設を出ていくのも
急がせて、町民を追い詰めているようにしか思えません。
それで誰かが亡くなっても仕方ないんじゃないか、自分達は悪くないという考えなのだと思います。
問題が山積みなのに、様々な事柄を同時に行なっていくだけのキャパもないまま
役場職員という地位にいるのに甚だ疑問を持ちます。
でも今までもそうでしたし、期待も夢も希望もないねと皆さんおっしゃっていて
私もつらかったです。
何も出来ない自分が歯がゆいです

【1月ご支援金の集計】
皆さま、変わらぬご支援、誠に有難う御座います m(_ _)m 先月は、お野菜については、6回分を支払いました。また、リーフレットの印刷/郵送代にも使わせて頂きました。

9月 76名様 10月 80名様 11月 90名様 12月 101名様 1月 102名様 総計
前月末残高 \175,250 \151,985 \131,651 \129,974 \224,655
ご支援金 \267,995 55人 \294,209 47人 \322,708 58人 \305,101 50人 \287,736 40人 \2,538,749
野菜代金 \289,580 7回 \258,200 6回 \318,100 6回 \210,000 5回 \231,024 6回 \2,186,354
菜園化資材 \0 \53,823 2回 \4,395 2回 \0 \0 \58,218
リーフレット印刷代 \0 \0 \0 \0
\4,025
\4,025
振込料 \1,680 \2,520 \1,890 \420 \1,050 \13,860
月末残高 \151,985 \131,651 \129,974 \224,655 \276,292 \276,292

1月は、現地活動資金の残金が合算され、また、予定していた現地派遣が延期になった事もあって、余剰金が大きくなっております。今月の運営には、こちらから約18万円を充当できます。よって、目標額は、19万円となります。引き続き、力強いご支援をどうぞ宜しくお願い致します。
なお、今月から、監査役は、丸山様とOtsuka様のお二人がご担当下さいます。(水野様には、Facebookと現地活動に専念頂きます) ご支援金の使途、及び、入出金明細の管理については、Q&Aをご参照下さい。

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野菜価格の高騰、税金の支払い、仮設の早期退去…。問題は形を変え、次々と被災地の皆さんを襲ってきます。現地では、これまで以上に皆様の優しさ、暖かさが必要とされているはずです。
小さなことでいい。ビタミン計画でなくても構いません。でも、何か具体的なアクションを! どうか、3.11を超え細く長く、被災地の皆さんと関わり続けて下さい。心からのお願いです。

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2012年2月17日金曜日

【第45弾】岩手県山田町+【第47弾】宮城県亘理町

皆様、いつも暖かいご支援本当に有難う御座います! ブログの更新が遅れに遅れておりますが、今年に入ってから、現地活動も含め、既に10回以上のご支援敢行しております。
本日は、岩手県山田町宮城県亘理町、二つのお届けについてご報告致しましす。


【第45弾】山田町
お届け1日に完了しております。今回も一般社団法人プロジェクトNext打越様から、当計画のFacebookに大変ご丁寧なメッセージをご投稿頂きました。
“いつも温かいご支援をくださいましてありがとうございます。
報告が遅くなりましたが、先日ご支援いただいた野菜とお肉20世帯分を、山田町大沢の漁師さんたちに届けました。こちらのおふたりが窓口になって、公平に配分してくださいます。震災初期から他のみなさんのため献身的に働いていらっしゃる方々です。
こちらのアルバムの中にその写真が含まれていますので、是非ご覧ください。
今後ともどうぞよろしくお願いします”
出荷写真と明細はこちらをご覧下さい。(提供:道の駅・石神の丘様)



【第47弾】亘理町
こちらは、7日にお届け完了しております。亘理町応援団の団長・池田様から、大変詳しい現地の近況をご報告頂きました。
“東日本大震災より11ヶ月が経過しました。亘理町応援団の活動も在宅被災者訪問の範囲を広げ荒浜地区だけでなく吉田地区にも訪問しております。親類の家に避難していたご家族やアパート仮設住まいのご家族がもとの住居を修復し戻られつつあります。また、震災直後より、もとの家屋を失い、物置やプレハブで生活し、生活再建されている方もいらっしゃいます。
やっと、東北のイチゴ生産率トップの亘理町と山元町が、仙台イチゴ復興に1歩踏み出しました。町役場が、国の補助金の受け主となってイチゴハウスの建設を計画しています。ビニールハウスをイチゴ生産団地として数カ所に集約し津波の塩害を避ける為に水道水を使用し、また、地面からで無く容器に培土を入れて苗を植え、液体肥料を供給するシステムを導入する事が決定しました。4日には、高設栽培の技術勉強会が行われ、両町の被災した農家が200名以上集まりました”
出荷写真と明細はこちらをご覧下さい。(提供:道の駅・石神の丘様)

吉田浜の防波堤です。右手の車道の窪地に溜る水や、倒れた松林をひっくるめて、緑化して森林地帯にするらしいです。平地が広がるのは田畑が広がり幾分かの住宅があった場所。見渡す限り、荒れ地状態で電柱や家の土台、枯れ木しか残っていません。

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最後まで読んで頂き有難う御座いました。山田町、雪降る中での仕分けや配達、さぞ大変な事と思います。亘理町は、イチゴ農家さん復興へ動き出したようですね。ビタミン計画は、今後もこれらの地域の後方支援を頑張りたいと思います。ご協力どうぞ宜しくお願い致します。
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