2012年4月27日金曜日

お届け野菜の放射線濃度測定+【第55弾】大船渡+【第56弾】亘理町

【第55弾】大船渡
ご報告が遅れまして、申し訳御座いません。お届け11日に完了しております。一般社団法人プロジェクトNext打越様から、大変ご丁寧なメッセージと沢山の写真を頂きましたので、ご紹介致します。(スライドが表示されない場合は、こちらをご覧下さい)
タミン計画のみなさま、ならびに支援者のみなさま
今回も温かいご支援をどうもありがとうございました。届けていただいた野菜と卵をその日のうちに岩手県大船渡市で被災した方々にお届けしましたので報告させていただきます。みなさんにたいへん喜んでいただきました。今後とも変わらぬご支援をどうぞよろしくお願いします”
領収書や出荷写真はこちらをご覧下さい。(提供:うまい奥の細道様)



【安全性に対する取組み】
ビタミン計画では、2月(試験的には12月)より、以下の二点を目標とした取組みお届け野菜の放射性物質測定を始めています。

   ①お届け先の皆さんに、安心してビタミン計画のお野菜を食べて頂く
   ②数値により風評被害を払拭、農家様や小売店様の後押しをさせて頂く

今月は、女川、気仙沼、大船渡の計3箇所に、宮城のうまい奥の細道様からお野菜を届けました。こちらに使用した全9品目(宮城県登米市の野菜と大崎市の卵)も過去の結果と同様、全て検出限界値以下となっております。(全Cs放射能濃度の平均値 3.8Bg/kg) 検査結果は、こちらのウェブアルバムでご確認下さい。

測定は、仙台の小さき花市民の測定室様にご協力頂いております。使用機器は、応用光研工業FNF-401。ヨウ素131、セシウム134/137等それぞれの濃度を測定でき、1000秒で10Bg/kg、4000秒で5Bq/Kgの検出限界をメーカーが保証しています。


なお、収穫量が十分でない為、冬の間お休みされていた岩手の道の駅・石神の丘様も、2月までの検査では、二回連続NDとなっております。結果は、こちらでご覧頂けます。


【第56弾】亘理町
こちらは、12日亘理町応援団様の後方支援を努めさせて頂きました。団長・池田様から宮城県亘理町の近況をご報告頂きましたので転載致します。
月を迎え、亘理町では田植えの準備が始まりました。
水田は除塩工事が今も進行しています。今年は、除塩作業が終了した水田のみでの田植えとなります。
田は土壌改良剤が撒かれ、耕起されています。各地にタネ籾を蒔いた後に苗を管理するパイプのビニールハウスが再建され建ち並び、殺風景だった被災地でも、ささやかながら活気ある生活が伺えるようになりました。
個人所有の農業機械などは津波で流され、地域集団として支援を受けたり、共同購入をしたりした機械を使っての再出発です”

領収書や出荷写真はこちらをご覧下さい。(提供:十字屋(JSHOP)様)


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本日も最後まで読んで頂き有難う御座いました m(_ _)m
ビタミン計画は今後、(大変小やかではありますが…汗) お届け野菜の測定を通して、従来より一歩踏み込んだ支援を目指してまいります。引き続き、力強い応援をどうぞ宜しくお願い致します。

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000【ビタミン計画】 発起人 飯塚めぐみ
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2012年4月21日土曜日

【第8弾】【第9弾】派遣部隊の活動の様子、そして今回の活動のこと/岩正人



 12月、2月に続き今回も参加してきました、イワです。
 今回は参加メンバーが5人と多くレポートの内容も重なりますので、ちょっと趣向を変えて、僕たちの活動や準備の様子を中心に書いてみようと思います。



<普段の打ち合わせについて>

・毎回行く前に一度集まって日程や内容を話し合い、終わった後にまた集まって振り返り会を行っています。といっても、難しい顔で会議しているのではなくて、飲み食べしながら和気あいあいとやっています。話題も、目の前の活動のことだけでなく、東北関連の最近の情報や他のボランティア活動で見聞きしたことなど、あれこれと話しながらやっております。

・また、通常の情報共有や打ち合わせは、主にFacebook上で行っています。たかが1泊2日で行ってくるだけとはいえ、日程調整や活動内容など結構打ち合わせることがありますし、それぞれ仕事や家庭生活もありますので、​ネット上での打ち合わせが中心となっています。


<計画づくり、そして、宿や道路事情などのこと>

・仮設住宅で何かイベントを行うか、仮設住宅側のご都合はどうか、お野菜をどこで受け取りどこで仕分けするか、立ち寄りたい場所はあるか、そうしたことからルートを決めていきます。

・また、宿もポイントの一つです。地域によってはかなり選択肢が限られますし、全般的に混んでいるので予約が取れない場合もあります。また、現在の活動では宿泊代も活動経費として出していただいていますので、安さも大事な要素です。

(今回お世話になったコバルト民宿さん、美味しい料理に満腹!)


・東北の道路事情については、旅行者が車で訪れることに大きな問題はないといっていいと思います。通常古川駅を基点にレンタカーで移動していて毎回300キロぐらい走るのですが、幹線道を走る分には何の問題もなく、カーナビ任せで走れます。特に道が悪いということもありません。
ただ、幹線道を離れ細い道に入ると、そこここで工事が行われていますし、通行止めの所もないわけではありません。そして、津波被害の爪痕は至る所にむき出しで残っています。
訪れるたび、復旧が進み変わっていく部分と中々変わらずに残っている部分の両方を、車を走らせながら感じています。

(地盤沈下を補うかさ上げ、土嚢の上にアスファルトを敷いた応急のものでした)


・お野菜の受け取りについては、宿泊先や 道の駅大谷海岸さんに厚かましくもご協力をお願いして行っています。(ご協力に感謝!)
小規模の仮設住宅とはいえ1カ所20軒前後ですので、お野菜も結構な量となり大きめの段ボール箱で5~6箱になる時もあります。初めて見た時は想像を超えた量に目が点になりました(笑)
当たり前のことですが、皆さまの募金で購入した大事なお野菜、農家さんが丁寧に作ったとても美味しいお野菜ですので、痛まないように気をつけて扱っています。

(今回はどちらの仮設住宅でも集会所をお借りして仕分けできたので、とても楽でした)


◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


<今回の活動で見聞きしたこと、感じたこと>

・今回の仮設住宅訪問では、これまでで一番ゆっくりとお話しすることが出来ました。派遣部隊の活動も半年を超え、少しずつ仮設住宅の皆さんに受け入れられてきたと感じられ、とても嬉しかったです。
1軒1軒お野菜をお渡しした際には、「いただいてばっかりで申し訳ないねー」「わざわざ東京から、ほんと申し訳ないことです」「最近お野菜は高いから助かるわー」「お花まで入ってるの」と返ってくる言葉は様々ですが、皆さん嬉しそうに受け取っていただけました。 思い返してみるに、回を重ねることで少しずつ皆さんの笑顔が増えてきたように思います。
やはり、1、2回やってお終いというのではなく、続けていくことでこそ、遠くからの応援も相手の心に伝わっていくのではないかと感じました。

・桐ヶ崎では、万一津波がきた時にも逃げられるよう、震災前から防災道路を整備してこられたのだそうです。集落内にあった避難所にも「津波被害の時には使ってはいけない」ことを掲示して高台への避難を促していたそうで、災害への備えが日頃から行われてきたのです。
今回の震災では、備えがあっても及ばず多くの被害が出てしまいました。桐ヶ崎においても、家財や仕事道具の一切合切が流され甚大な被害が起きています。でも、そんな中でも亡くなった方が一人もいらっしゃらなかったというのは​、本当に良かったことでしょうし、これまでの備えと決して無縁ではないのでしょう。

・漁業の再開に関して、ある奥さまがおっしゃっていたこと。「うちの人の年齢を考えると、借金して設備を入れても、借金返して終わりになっちゃう。それだったら、無理しないで年金もらおうかって思っちゃうよね。」
若手の後継者が多くいるなら問題にならないかもしれませんが、被災地はどこも、そして被災地に限らず日本の各地においても、高齢化や後継者不足は共通した問題です。
それでも、今までは現役で漁業を行われ新鮮な海の幸を出荷してこられたわけですが、ここにきて設備の全てを失ってしまい、新たな投資を決断しなくてはいけない。これは本当に難しい問題です。
でも、そんな難しい問題に向きあいながらも漁業を再開しておられることには、本当に頭が下がります。何にもお手伝いできませんが、少しでも応援していきたいと思います。多分食べることぐらいしか出来ませんけど、友達や家族と一緒に、その魚や貝が出荷されるまでの道のりを話し合いながら、有難く味わって食べたいと思っています。


  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


月に一度だけのこの活動が、桐ヶ崎や小泉の方たちにとってどうであるか、どうすべきであるか、いつも頭にある問い(不安)ですが、答えは出ません。
ですが、笑顔で迎えてくれた人、辛い現実を話してくれた人のことを思うと、大したことは出来ませんが、なるべく一貫したスタンスで続けていきたいと思いますし、回を重ねる毎にその思いは強くなります。
そして、被災地で何とか復興しようと頑張っている人たちにも、目の前のしんどい生活に耐えておられる方たちにも、応援している人がこんなにたくさんいることを、伝え続けていきたいと思うのです。



<今回の写真アルバム>

Photo Album 

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2012年4月18日水曜日

【第8弾】【第9弾】初めて仮設住宅を訪れて/吉田孝一

3月31日~4月1日のビタミン計画の現地活動隊に参加してきました。
これまでビタミン計画を通して微力ながら募金というかたちで被災地への支援を続けてきましたが、仮設住宅をまわって直接お野菜をお渡しするこの活動に参加するのは今回が初めてです。
1日目。古川駅に集合してそこからレンタカーで女川町桐ヶ崎の仮設住宅に向かいました。 その途中、海岸沿いやその周辺の津波の被害があった場所を通るとやはり言葉を失いますし辛くなります。 瓦礫の山と家屋の基礎だけが残った跡。ビルや学校などの半壊した建物。やりきれなくなります。 そこでは作業する人や重機が動いていたりするのですが生活の賑わいや温度も津波が持って行ってしまったようで圧倒的な寂しさがありました。


この活動に参加する前は少しでも復興のお手伝いをしたいと数回ボランティアバスに乗って瓦礫の片付けや側溝の掃除などをしに行っていました。 ボランティアバスでの活動では現地の人と話す事や話を聞く事があまりなかったので、今回のように仮設住宅をまわるのは被災した人に対してどのように接すればいいのか分からず緊張していました。
けれども、何度も訪れているメンバーのリラックスした表情や態度に緊張も少し解れてきて、なによりもそこに住む人たちの自然に温かく迎え入れてくれたのには心が和らぎました。 1日目の桐ヶ崎の仮設住宅の集会所ではお茶とわかめやめかぶのおやつもいただいたりと親戚のうちに居るような、ゆるやかでなごやかな時間を過ごせたように思えます。 お話もいろいろ聞かせていただきました。 「お風呂に入るのも追い炊きができないから冷めないうちに入らなければならない」ことや「その都度お湯を入れなくてはならないのでガス料金が以前の倍になった」という事をおっしゃられていました。また漁業をされてる人は津波で道具が全て流されてしまい、また揃えるのに1千万以上かかってしまうということです。そういったことを普通に話してくれたことに東北の人たちの強さも感じましたがそれまでの辛い日々の重なりがあったことに思いを巡らすとうなずくことしか出来ませんでした。 桐ヶ崎の仮設住宅のあと、『蒲鉾本舗 高政 万石の里』で買い物をしました。もう閉店近くということもあり、試食品がなくなってたのですがわざわざ私たちのために新しく試食品を用意してくれました。いろんなバリエーションの蒲鉾があり、どれもとてもおいしかったので自分用に詰め合わせを買いました。ご飯にもよく合いますが、お酒とも相性がよく、ついつい一人の家飲みで飲み過ぎてしまった程です。
2日目は本吉町小泉の仮設住宅へ。この仮設住宅は支援が遅れているらしく集会所ができたのも最近という事です。それもテーブルもなく畳が敷いてあるだけの簡素な作りで、役所と何度も交渉してやっと建ててもらったとのことです。 ポットも冷蔵庫もなくお茶を出せないのを申し訳なくおっしゃってくださいました。役所では「ポットはそちらで用意してくれないか」とか言われたらしいのですが、他の仮設には支給されてるのにと考えれば不公平感があります。役所にも事情があると思いますが公平な分配をして欲しいものです。 まだ集会所も人が10人も入ればいっぱいになってしまう狭さですけどもう少し広くなる予定だという事です。これから暖かくなっていって、多くの人が入れるような広さでみんなでお茶ができるようになれればいいのですが。

初めてボランティアバスで現地に来た時は瓦礫の山や被災した建物、町並みがあったであろう残酷で悲しい風景の写真を何枚もとっていたのですが、何回か来ているとそういったところを撮らなくなりました。 その分撮る写真といえば東北の綺麗な、なんでこんなにのどかなんだろうというような海や美しい自然の景色です。1日目はあいにくの雨だったのですが天気が良かったらどんなに素晴らしい景色だろうと想像するのに難くないそんなところがたくさんありました。 皮肉なことに私は東北に足を踏み入れたのは震災があってからのことです。 なんでこれまでここに来なかったのだろうと悔しくも思います。 震災の傷跡を除けば 本当に素晴らしい風景が見れます。 東北の魅力に気付いた人は私だけでなくもっといると思います。 復興に向けて地元の人の笑顔とそこに訪れる人の笑顔がもっと増えていって欲しいです。

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【第8弾】【第9弾】初めてプランター隊に参加してみました!/桑田葉子


今回、被災地を訪れるのも初めてだったので、行く前には少し不安がありました
ですが、何度も訪れているプランター隊員さんが長距離を運転してくださり、 震災の爪あとを自分の目で初めて見て、身に迫るものを感じました。

活動前日の昼、私は観光を兼ねて仙台に入りましたが、牛タンをいただいていると早速強い地震。
仙台駅周辺はにぎわっています。 観光バスで市内を廻ると、道路にひび割れや工事現場は多数ありましたが、悲惨な状態は脱して復興が進んでいるように見えました。

活動一日目

古川駅に集合、レンタカーで女川方面へ。
途中石巻の海岸近くを通ると、海が襲ったあとの更地に積まれた瓦礫、骨組みだけの建物や、ひどく壊れた小学校など、心痛む光景が続きます。
洋服など生活のにおいが感じられるものが泥に混じった瓦礫は、いっそう痛ましく感じられます。 生活しているらしい家の庭の植物も、茶色く変色していました。




園芸用品と産直ショップが併設されている「グリーンサム」へ。仮設住宅へのお花提供に関するプランター隊員とお店の方のお話の間、胡椒味塩のり・牡蠣味噌・お好み焼き粉などお買い物。 地元にしかない産物・お値段。魅力的です!今日を記念して、グラジオラスの球根も買いました。庭に埋めようと思っています。

野菜が届く女川の「コバルト民宿」に向かう前に、お昼の食処を探しましたが、お店はなかなかなく、やっと行き当たった食堂にて私はエビフライをいただきました。大きなエビ2本、美味しかった!でも外はどしゃぶり。 民宿に戻って、ダンボールに入った野菜を積み、桐ヶ崎の仮設住宅に向かいました。

海からすぐの山腹の空いた土地に、プレハブの仮設住宅と集会所。畳敷きの集会所は広くて使いやすそうです。
住民の方が迎えてくださり、野菜を仕分けして一家族分ずつ袋に入れます。今回は東北の野菜が寒さでどうしても揃わなかったため、岡山から。
パンフレットとお花もついていました。
手分けして各世帯のお宅を訪問、配ります。集会所で始まっている「お茶っこ」にお誘いし、何人かの方がいらして下さいました。

桐ヶ崎の住宅の方はにこやかに迎えてくださって、ワカメの煮物など、お茶受けに勧めてくださいました。しょうがも入れてめんつゆで煮るのだそうです。 住民の方同士のお話はなかなか聞き取れなかったのですが、私たちにはわかりやすい言葉で、にこやかに話しかけてくださいます。

ここからすぐそばの海でのお仕事、家もいっしょに流されてしまって、今後高台に移転したとしても、どのように生活が成り立つのだろうか、と考えてしまいます。
「震災の前と後で、鏡の中の自分の顔がちがう」という奥さん方の声も、心に響きました。津波のストレスのせいだと話していました。

これから春になるので、外でプランターに野菜か花を育ててはどうか、という提案には、 「野菜だとネコのトイレにされてしまうこともあるけど、花だと平気みたいよ」との返事でした。野菜については、何か工夫が必要なようでした。

仮設住宅を出て、コバルト民宿へ戻る途中、海のそばに浦宿駅がありました。この鉄道が使われるのはいつの日でしょうか。 民宿で夕食。お刺身のタコ、貝、あんこう、カレイの煮物などの海産物と、鍋料理でお野菜をおいしくいただきました。




活動二日目:

翌朝はよく晴れて、女川の沿岸沿いを北に向かい走りました。湾岸のくねるシルエットと突き出た半島、海の水面の輝きが美しい!



でも反対側は、ならされた更地に瓦礫の山、壊れたままの建物などが点在する光景。一年経っても、右と左は全くちがうのです。 写真を撮る場所には困らないのに、人の集まる店などはなかなか見当たりません。



大きな橋のたもとに車を止めてみると、北上川の下流が海に広がる美しい場所。
その横の遠くの岸辺に、もう使われていないらしい小学校が見えました。「大川小学校」の児童を悼む立て札が立っていました。
かわいらしい小学校の建物は色が霞んで、ぼうっと見えます。花束が手向けられ、裏山に森が生い茂っていました。
こんなに美しい自然の中で育っていた子どもたち。元気な声が聴こえてくるような気がして、涙なしにはそこにいられず、手を合わせるしかできませんでした。 あの景色は、きっと忘れられません。

そこから北へ向かって歌津を通る時、商店街がありました。
広くさらされた平地に突然現れたプレハブの店舗の並び。目に見えるところに瓦礫の山。
商店街の人と話したら、すぐそこの海から商店街を超えて、その上にある小学校まで津波がきたということでした。  更地にひっくり返った大きな建物の上に、車がまだ乗っていました。

「道の駅」に到着。届いている野菜を車に移動。裏はすぐ海です。産直ショップ内では、地元の食品がたくさん並び、食事もできます。でもお店の裏に廻ると壊れた建物の建材などがいくつも落ちていて、使用禁止と書かれたポストがビニール袋をかぶって立っていました。 この産直ショップでもお買い物。都会にはない、安くて美味しそうなものばかりで、たくさん買っても未練たっぷり。

歌津の方へ少し戻り、本吉町小泉の仮設住宅へ。
前日の桐ヶ崎より少ない世帯数で。少し歩いた所にもう1カ所ありました。そばに小学校があります。
仮設住宅の奥に集会所があり、住民の方が迎えてくれました。 野菜を仕分け、各世帯のドアを叩いて配ります。皆さん、笑顔で受け取ってくれました。

集会所は9畳で狭いので、倍の広さに広げてもらうよう市に要望しているとのことですが、その分駐車場が狭くなってしまうこともあって代表の方が悩んでいました。
外の仮設トイレには当初電気もなかったそうで、申請して電気をつけるのに何日もかかったそうです。
何をするにも一つずつ事業計画書がいるし、時間がかかるし、対応に前向きでないので役所との話は難儀だとのことでした。
ポットなどの備品はまだこれからなので、ここではお茶はまだ飲めませんが、住民の皆さんはなごやかに話してくださいます。 外でプランターに野菜か花を育ててはどうか、という提案には、「どちらもあったらいいね」とのこと。

帰りにプランター隊長より、聞いた話。
「あの黒い石垣のところまで海が来たそうです」というその位置は、仮設住宅よりは下ですが、ちょうどその時私たちが立っていた山腹のあたりでした。



はるか遠くに見える海からは、左右山に挟まれ、何百mも離れています。


海がこの地区全体を飲み込んだと言われても、とても信じられない。 でも途中の土地には家の基礎だけが点々と残っています。せめて小学校に被害がなくてよかったと思いました。

<振り返ってみて>

太平洋側の海沿いをずっと車で走ると、いつまでも目の前に広がる被害の甚大さを改めて思い知らされます。
一年経っても、何も建っていない、誰も住んでいない更地と瓦礫の山。
通りを走るのは工事車両が多く、時々真新しい設備のガソリンスタンドや、お店を見かけます。 そして、子どもの姿を見かけません。地元で暮らす子どもの姿を今回全く見なかった気がします。

その中にぽつんと立った仮設住宅で、住民の方はどんな思いで暮らしているのでしょうか。 更地にならす工事をする人は、どんな気持ちで仕事をするのでしょうか。

私なら普段近くのスーパーで買える野菜を、遠くから送っていただいて、別の遠くの場所から来た人間が各世帯を廻って配る。
そのことの意味を考えずにはいられません。 時々でも、食べ物をさげて訪ねて集まって、日々の暮らしの話を聞いたり、お茶を飲んだり・・ そういう、ほっとするのに近い時間は、ここではまだまだ必要な気がします。 そして、私達のふだんの幸せがどんなにありがたいことかを改めて感じています。

貴重な機会をいただきました。皆さん、ぜひ東北に訪れてみてください。
何もお役には立てませんでしたが、ほんとうに行ってよかったと思いました。 連れて行ってくださった隊員さんたちに感謝です。


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2012年4月16日月曜日

【第8弾】【第9弾】二人の代表の横顔/木村研太

「陸の方を見たら、山の木がわさわさ揺さぶられてるんだ。それで絵の具を撒いたような黄色いモヤが山全部を覆ってるんだ。スギだよ。花粉さぁ。」


思いがけない話が飛び出して来た。
3月31日。場所は、女川町桐ヶ崎の仮設住宅の集会所である。


いつものように、手分けして野菜を一軒ずつ配り、集会所へお茶っこのお誘いをしたのだが、今回集会所へ出向いてくださる方はとても少なかった。
無理もない。この日は風と雨が断続的に叩き付けてくる、生憎の空模様だった。


今回、初めて他の団体と鉢合わせをした。
仙台のキリスト教会の慰問チームとのこと。
不定期だが、継続して慰問を行っているらしい。
そう言えば、去年の秋口、南三陸の個人宅の片付けのお手伝いをしていた時、個人宅を訪問するキリスト教会のチーム(同じではないと思うが)と出会したことがあったけ。


3つの「団体」で、しばしの談笑。


賑やかに彼らが集会所を去っていった後のこと。
桐ヶ崎の方達と我々が、少ない人数をさらに小さなグループに割ってお話をしていた時のことだった。


集会所の南側の窓を覆うように貼ってあった「地図」が、集会所に入った時から気になって仕方がなかった。
「これは移転計画……ですか?」
「そう。これでね、もう決まりだから。」
仮設の代表であるSさんが、嬉しさが少し混じった表情で答えた。




場所は、この仮設からあまり離れていない西側を示していた。
だが地図のように開けた場所は存在しない。
「そうそう。山(スギ林)を開いてね。」
北から南に向かってほぼまっすぐの道。その両脇を家が整然と並ぶ格好になる。 等高線の引いてあるその地図を見ると、地形の状態からその並び方になるしかなさそうだった。
「これでもう決定。でも着工は来年かも。」


話し合いをいつまでも引っ張っても結論は出ないから、と言うSさん。
でも、ここで漁業を続けていく人、出て行った人、出て行くかもという人、そして他の様々な条件を加味した上での(数多くの)話し合いと決定だっただろうことは想像に難くない。


自分は、人の話を聞いている時、話の内容よりその人の顔や表情ばかりやたらと気になってしまうクセがある。
そして、震災以前も以後も、数多くの決定を下してきたリーダーの顔がそこにあった。


「水の下の方から妙な音が聞こえてきたんだよ。」


Sさんの顔に気を取られていたためか、話し好きのSさんの話の展開が早いためか、話題がいつの間にか変わっていた。
地震が起きた時、その瞬間の話であった。


その時Sさんは、桐ヶ崎港を出たすぐ先の海上で、船を使った作業をしていた。
地震の時、海面も揺れる。これは珍しくない。
しかし、海の下からの異様な音や、山側の「黄色いモヤ」を見て、「これはいつもと違う!」と感じたそうだ。
慌てて船を港につけ、港のフォークリフトをやや高い場所に移動させ、自宅に一度引き返す。
「どういうわけか、免許証を取りに行ったんだ……」
そして高台に逃げ、40分強で津波がやってきたという。


集会所に、震災前後に撮られた航空写真があったため、それを指し示しながら説明が続く。
「ここの高台の神社が何人か逃げ込んた。水は来たみたいだけど無事だったよ」
「この大きい二棟だけが一応残った。一棟はウチの作業場で、今はとりあえず倉庫に使ってる。ウチ(Sさんの家)は壊れずにこの辺まで流されてた」
「港(桐ヶ崎)では、船は2、3艘残ったっきりで………フォークリフトもやられた」


生々しい体験談を聞きながら、身体も心も何とも言えない緊張感で、頷いたりするのが精一杯だった。
こういう訪問の時は、地震や津波の話を被災した人達にこちらから持ちかけないように、いつも心がけていた。
当然心情を慮ってのことであり、また現地の人全てが語り部をしてくれるワケではないからである。


「桐ヶ崎は、ゼロだったんだ。もう何度も何度もリストを見ては人数確認してまた確認して、やっと死亡者ゼロだと分かったんだよ」


最後に、これはもう本当に今まで聞きたくとも聞けなかったこと………であった。
無論、ご親戚や他の集落の人達が無事でないこともあるだろうことを考えれば手放しで喜べるはずもなく、自分は「そうだったんですか…………そうだったんですか。」と、ただひたすら頷くのみだったのである。


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明けて4月1日。
場所は、気仙沼市本吉町。
ここに住む人達はこの辺りを「小泉」と呼ぶので、我々もそれに従い「小泉」と呼んでいる。


「なんか年取った顔になったな」
開口一番、代表のOさんが自分(木村)に放った言葉である。
ええ?っと思ったが、よくよく考えてみたら3ヶ月ぶりに会ったのだから無理もないかと思ったが、さらによく考えてみたら、たったの3ヶ月なのである。フクザツなのである。


少し前にOさんが入院して手術を受けたと聞いていた。
そのせいか、Oさんはちょっぴりシャープな顔つきになっていた。
「今カギ開けるから」
敷地の奥側に見える建物、そうついに集会所が出来たのである。




早速、野菜の箱を集会所に持ち込み、仕分けを開始する。外はまだ肌寒いし、床に直置きできたり、座れたりできる場所というのは本当に有り難いものである。
仕分けをしながら、(失礼ながら)集会所の中をじろじろと見回す。
まだ、空調以外何もない畳敷きの一室だ。水廻りの設備はない。
「テレビとかテーブルとか座布団なんかも届く予定だ。でも細かい湯のみの類いなんかは自前」


この集会所を建てる運動を、Oさんはもう何ヶ月やってきたのだろうか?
一定の世帯数以下では集会所は作られないという規則を、Oさんは「チカラ技(同級生の議員さんなどのコネ)」も駆使しつつとうとうそれを突破してしまったのである。
「みんなが集まるところがないと駄目なんだ!」
こう言って、ひたすら役所を説き伏せてきたそうである。


「畳も頼み込んで敷いてもらった。言わねぇと役所はホントに何もやってくんねぇんだ。トイレの電気もそうだ。夜会合した時どうすんだって、そこから説明しなきゃ分かんねぇだから」
実は、この集会所のトイレは、工事現場によく置かれているアレなのである。 上下水の工事はどうやら行われないらしい。


他の人達もぼちぼち集まり始めた。
沢山入ってきたわけではないが、すぐにこの集会所の狭さが実感できる状態になってしまった。
畳を縦にして3枚を3列の縦長のレイアウト。9畳である。
ここの入居者の会合を想像してみる。
どう考えてもテーブルは入らないだろうし、場合によっては人間も外で立ち見になるかもしれない。


「広げるとしたらね、この建物をもう一個分持ってきて繋げるしかないねえとさ。そしたら、役所が『(手前の)駐車場スペースがなくなっちゃいますよ』ってさ。裏が少し空いてるから、そこまでこの建物を移動してそれから足せばいいだろうって、また説明して……」
Oさんの格闘はまだまだ続きそうである。


事業計画書という「図面」を引きながら、予算を加味して可能な限り状況に対応していくしかないだろうし、日々新たに現出する問題にも取り組まねばならない。
行政側も相当な痛手を被っていて人手が足りないだろうし、行政側を一方的に悪く言うのはフェアじゃないだろう。


そして、被災された人達にとっては、窓口はそこにしかない。
Oさん達にしたって、勝手に自分たちにいいように集会所を作ってしまうワケにはいかないのである。


ここにせめぎ合いがある。


行政サービスに血を通わせるのは本当に大変なコトだし、サービスを受ける側も唯々諾々と享受するだけとはいかないケースも多い。
Oさんの話を聞いていて、自分を取り巻く環境に対して問題を問い続ける重要さや難しさを、しみじみ感じた。


「今度さ、みんなで近くの山に遊びに行くことになったんだよ。ビタミンのみなさんも一緒に行こうよ。ここ(集会所)でおにぎりとか作っとくからさ、お昼にそれを食べようよ(笑顔)」


そう、問題があろうがなかろうが、ここにも春が来ているのである。
思いがけない嬉しい申し出であった。



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2012年4月13日金曜日

【第8弾】【第9弾】現地活動報告:冬の終わりの東北を訪れて/水野牧子



東京でも春の嵐となった3月終わりの週末、東北を訪ねました。今回は新しいメンバーが二人も加わってくださいましたので、ぜひお二人のレポートをご覧ください。詳しい行程などは他のレポートと重複すると思いますので、季節の変わり目とともに現地で感じたことをまとめました。

古川駅に到着して最初に感じたのは「あ、寒くない・・・」ということ。もちろん東京に比べたら寒いのですが、あの冬の冷たい寒さとは明らかに空気が違う。沿岸に車で向かう途中の景色も、山の様子はまだ冬で桜も蕾の形すら見えていないけれど、もう道路に雪は積もっていません。確実に春がすぐ近くにきているのを実感して、ほっとしたというか、「良かったなあ・・・」と思いました。

色々な問題はなにひとつ解決していない、と言っていいような現状なのですが、少なくとも冬はひとつ越えて、それだけでも住人の皆さんには暮らしやすくなるということ。桐ヶ崎の集会所で住人の女性たちとお話したときも、「春はよもぎを取って団子を作りたいねえ」「いつも色々してもらってるから次は皆で作りたいわ」「こうやってすり鉢でするんですよねっ」などと春ならではの話題で盛り上がりました。手作りのよもぎ団子なんて懐かしいですね。思わず母が作ってくれた20数年前の思い出にタイムスリップしました。
小泉の仮設住宅では待望の集会所が完成。そのおかげか?今までは出てこられなかった男性もいらして、皆さんとも初めて座ってゆっくり話をし、近くの山はつつじが美しくて有名なので次はハイキングに行こう、など楽しい企画がでました。
これから気候がよくなれば皆さんと外でお茶をしたりお話したりすることができる機会がもっと増えると思います。派遣隊としてこちらに来たのは風も冷たくなりはじめた秋でしたので、これからの季節がとても楽しみです。

さて、1日目に昼食を食べたのはおながわコンテナ村商店街の食事処おじかにて。お店の以前のウェブサイトを見つけました。http://www.h3.dion.ne.jp/~ojika/
素敵な絵ですね、本当はこんなお店だったんですね。でも今も掲示板が動いていて、お店の方やお客さんが書き込みをされています。いつか、元のお店と同じ姿でなくても、また以前のようなメニューで営業できる日がきっと来ると思います。

2日目に昼食を食べたのは大谷海岸道の駅の前の通りを挟んだ向かいにある、こちらも仮設のラーメン屋さん。おかみさんは息子さんの新婚のお嫁さんを津波で亡くされました。一緒に暮らしてまだ3カ月だったそうです。営業を始める気にとてもなれなかったけれど、周囲の応援もありお店の再会に踏み切った、という新聞記事が貼られていました。海藻を練りこんだ麺を使った海鮮ラーメン、とってもおいしかったですよ。
それから、前回通ったときには建築中で鉄骨しか見えていなかった道路沿いの大きな建物も、今回通ったときは外壁もできあがって何かの会社の立派な看板がかかっていました。

いつも同じことを思うのですが、私は東北の人たちの苦労を肩代わりできないし、今もどんな悲しみや苦労が続いているのか、話を聞いても決して自分のこととしては実感できないし、自分の生活に戻ればそれなりのやることがあって、いつもいつも東北のことを考えていられるわけではないです。だからこそ、こうやって復興へ向かって一緒に歩くという気持ちを確かめに行くことは自分のために本当に大事だと思いました。

被災地の現状を見るのは辛いです。でも辛いことだけがあるわけではないです。東京からきた私のような人間まで一緒に落ち込んでいては役に立ちませんから、ちょっとずつだけれど皆さんが「これから」の話をしたり、何かをもう一度始めようと立ち上がったり、新しい建物ができたり、そういうのを見つけたくて、私は行くんだと思います。次に行くときにもまた見つけられると思います。
なので、是非私たちと一緒にそれを見つけに行こうと思ってくれる人がでてきてくれると嬉しいです。私はいつも色々な学びをさせていただいています。ご支援してくださる方々、いつも本当にありがとうございます。

水野 牧子

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000【ビタミン計画】 水野牧子(@mizmaki03)
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2012年4月9日月曜日

3月の現地活動+ご支援金の集計

昨日、活動概要の改訂版、About_H24 (作成:岩正人さん)をアップ致しました。オリジナルの About を見ると、はるか遠くに感じられるから不思議です(笑 ビタミン計画は、募金支援だけでなく、大変多くのご助言・励ましの言葉によって、今日まで続けてこれました。ご賛同者の皆さま、各地の協力団体の皆様、本当に有難う御座います。今後もご指導の程、宜しくお願い致します。


【3月の現地活動】
大変な悪天候に見舞われましたが、無事ミッション完了です。31日からの二日間、女川・桐ヶ崎地区気仙沼・小泉地区の仮設住宅に訪問させて頂きました。
10月からはじめた現地活動。月並みな表現ですが、やはり『継続はなり』ということでしょうか。プランター隊員の地道な努力が、少しずつ実を結びつつあります。住民の皆さんからは、本当に沢山のお話を聞かせて頂きました。
更に今回は、メンバー・水野@mizmaki03さんなどの「ビタミン計画をきっかけとして、一人でも多くの方に、東北に足を踏み入れて頂きたい」という願いが叶い、めでたくお一人が東北デビューをされました。詳しくは、近日発表の活動記でご報告致します。


お土産野菜は、十字屋(JSHOP)様にご協力頂きました。(明細やその他の写真はこちらをご覧下さい)
右側のお野菜、何だかご存知ですか? 写真を拡大して頂くと、表面を透明な粒子が覆っているのがご覧になれます。こちらは、アイスプラントと言います。塩気があってプチプチとした食感が楽しい新品種。ここ数年お店で見かけるようになりました。前回お届けした岩手県大槌町でも「これはなに?」「どうやって料理するの?」と行く先々で盛り上がったそうです。
そして、今回は、大根菜とストックというお花をオマケに付けて頂きました。岡山の農家さん曰く「(被災地の人は大変な思いをされているから)せめてこれくらいのことをさせて欲しい…」と。本当に感激です。現地の方も大変喜んで下さったと聞いています。農家さん、十字屋さん、本当にどうもありがとう!


【3月ご支援金の集計】
残念ながら、先月は目標額の30万円には及びませんでした。しかし、活動を始めてから、今まで目標額に達しなかったのは、今回含めて2回だけです! 皆様の東北への粘り強い姿勢には、素直に頭が下がります。先月の募金は、8回分のお野菜購入費と1回の放射線汚染検査費に利用させて頂きました。本当に有難う御座いました。
12月 101名様 1月 102名様 2月 102名様 3月 104名様 総計
前月末残高 \129,974 \224,655 \276,292 \157,495
ご支援金入金 \305,101 50人 \287,736 40人 \294,360 39人 \281,127 41人 \3,114,236
お届け野菜代金 \210,000 5回 \231,024 6回 \212,955 5回 \339,965 8回 \2,739,274
検体費 \16,690 2回 \8,640 1回 \25,330
放射線量検査代 \0 \0 \102,750 3回 \33,750 1回 \136,500
現地活動費 \0 2回 \0 \78,592 2回 \0 \136,810
チラシ印刷・送料 \0 \4,025 \700 \0 \4,725
振込料 \420 \1,050 \1,470 \2,520 \17,850
支出合計 \210,420 \236,099 \413,157 \384,875 \3,060,489
月末残高 \224,655 \276,292 \157,495 \53,747 \53,747

明細は従来通り、監査役のお二人(丸山様とOtsuka様)にご確認頂いております。ご支援金の使途、及び、入出金明細の管理については、Q&Aをご参照下さい。
さて、今月ビタミン計画の台所事情は少々厳しくなります。余剰金53,747円は、そのままプール金として持ち越されますので、目標額は、3540万円です。どうぞ力強いご支援を宜しくお願い致します m(_ _)m

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000【ビタミン計画】 発起人 飯塚めぐみ
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