2012年2月22日水曜日

【第6弾】【第7弾】気仙沼・女川 仮設住宅訪問記(Feb11, 12)/岩正人さん

12月に続いて、今回も派遣部隊として行ってまいりました。
ビタミン計画の皆さんにご報告したいと思います。


 11日朝 古川駅から



<小泉、桐ヶ崎 仮設住宅訪問のこと>

・今回は、小泉(気仙沼市本吉町)と桐ヶ崎(女川町)両方の仮設住宅にお邪魔してきました。
・両方に共通して感じられたのは、月イチ(未満)の派遣部隊ですが、少しずつ仮設住宅の皆さんに覚えてもらえてきたなあということ。 勿論、代表の方はビタミン計画のことを理解されていますが、他の方も少しずつ顔を覚えてくれてきたように感じますし、会話も少し増えてきたようです。ちょっとした立ち話や集会所での「お茶っこ」を通じてそんな風に感じ、嬉し​く思いました。
それと、野菜の美味しさを覚えていらした方もいらっしゃいました。僕も買って食べたことがありますが、ビタミン計画でお届けしている「道の駅 石神の丘」さんの野菜って、本当に美味しいんです。ちょっと誇らしい気持ちになります。(自分が作ったわけじゃないんですが)
おまけに、野菜は最近高いので助かるわとおっしゃっていました。

それと、 今回はバレンタインデー直前ということで、派遣部隊の女性たちが準備してくれたバレンタインチョコと手作りクッキーも配りました!
チョコやクッキーを渡すと、皆さん顔がほころぶんです。大成功でした!


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


・小泉では、前回同様に代表のお宅の辺りに皆さんが集まってこられ、そこでお野菜をお渡ししながら、しばしお話ししました。ようやく集会所が出来ることが決まり、皆さん嬉しそうに話しておられました。
集会所といってもそう広いものではないそうですが、それでもあるとないとでは大違いですし、小学校から高校までのお子さんが10人近くいることもあり、ちょっと集まれるスペースがあったらいいのにと、ずっと待ち望まれていま​した。市や県に繰り返し交渉し苦労してこられただけに、嬉しさもひとしおでしょう。(そもそも何でこんなに苦労しないといけないんだ?という疑問を感じてしまうのですが)
集会所が出来たら、みんなでゆっくり来てねと、嬉しそうにおっしゃって下さいました。


・桐ヶ崎では、派遣部隊への助っ人SさんとTさんも加わり、4人で1軒1軒回って野菜をお渡ししてきました。
日曜のせいか留守は少なく、殆どの家に直接お渡しすることが出来ました。中には「お茶でも飲んでいきなさいよ」と言ってくれる家もあり、嬉しくなります。
配り終えた後、Tさんと僕、Sさんとマキちゃんの二手に分かれ、Tさんと僕は集会所で何人かの奥さんたちとのお茶っことなりました。

奥さんたちがふるまってくれた、つぶ貝やめかぶ、新鮮なワカメの料理、白菜のお漬け物などをいただきながら(どれも美味しかった♪)、工事が行われ満潮時にも冠水しなくなった道路のこと、漁業の再開に関すること、普段の暮ら​しのこと、女川の海の幸のことなど、いろんな話を伺いました。
漁船を手に入れ養殖を再開し春の水揚げを目指されてはいても、揃えなくてはいけない資材はまだまだあり、それぞれ何十万から高いものでは千万単位の資金が必要になるのだそうです。助成金も出るが自己負担も当然必要。
また、放射線の影響が出て出荷できなくなったらどうしようかと、不安を口にされる方もいらっしゃいました。
目の前で一切合切流されたところから気持ちを立ち直らせ、仮設住宅で不自由な暮らしをしながら何とか漁船を調達し復興に向けて頑張っていても、足りない資材はいくつもあり金もかかり、おまけに放射線被害の不安が残る。
何も言葉を返すことが出来ませんでしたし、かっこよくお手伝いすることも出来ません。ただお話を伺うことしか出来ませんでした。

ビタミン計画派遣部隊の活動で具体的な問題を解決するなど出来ません。
ですが、仮設住宅の皆さんにお会いしていると、我々の活動はおそらく無駄じゃない。助かったと言ってくれる人がいるし、ちょっとした嬉しさにつながっている。そう感じます。野菜を有難いねと受け取ってくれます。
震災から1年近く経ったといっても、依然として先が見えないままの方たちもいらっしゃいます。そんな中では、継続的に活動していくことがとても大事なのではないでしょうか。



<被災地の復旧、復興と、残り続けるもの>

・今回は、国道をそれて小さな漁村や入り江を通る道も走ってみました。
女川へも石巻を経由するルートではなく、志津川から追波、雄勝を抜けてリアスブルーラインを通るルートで行ってみました。
瓦礫はたいていの所で片付けがされていますし、道路も片側通行こそあれど通れないようなことはありませんでした。
そして、海では養殖が再開されていました。漁船も並び、確実に復旧が進んでいることが分かります。




・一方で、津波被害の跡が消えてなくなるわけはなく、集落も田畑もなくなってしまった荒れ地のような誰もいない土地が、そこここに残されていました。
1軒の家も残っていないがらんとした土地を見下ろすように真新しいお墓が並​んでいたところもありました。
そしてまた、どうやったら処分できるのか想像もつかない程、大きな瓦礫の山が出来ていました。




・結局のところ、津波被害の跡というのはそんな簡単に消してしまえるものではなく、これからもずっとその土地に残り続けるのだということ、そして、失くなってしまった町や村、生活は戻ってこないのだという、言わば当たり前の​ことを、ずしっと感じた旅でした。



<そのほかのこと>

・今回、12日だけですが、仙台からSさんとTさんのお二人が参加してくれました。
おかげで、野菜の仕分けでとても助かっただけでなく(これが意外と大変なのです)、土地の言葉も地元の事情も分かるので、桐ヶ崎の奥さんたちとのコミュニケーションに大助かりでした。感謝!
派遣部隊のメンバーは別に固定的なものではないですし、僕も毎回行っているわけではありません。これからも新しいメンバー歓迎であります。

お約束のように、今回も三陸の海の幸をいただきました♪
桐ヶ崎でいただいたお料理、大谷海岸のあわびおにぎり、はまなす海洋館の海鮮丼、気仙沼の居酒屋料理、どれも美味しかった♪
お昼をいただいた「はまなす海洋館」は、津波被害からようやく再開したばかりのレストランで、とても美しい大谷海岸に面していて、ウエディングも行っています。
その日もウエディングや同窓会などで賑わっていました。
レストランのお客さんは地元の方が多く、そして、どの方もゆっくりと食事を楽しみながらおしゃべりを続けていたのが印象的でした。
こうした、小綺麗でゆっくりおしゃべりを楽しめる店も、今まではなかったのでしょうね。  





・12日の明け方、少し大きい余震がありました。
気象庁の発表では大した震度ではなかったですが、実際にはホテルのベッドがゆっさゆっさと大きく揺れ、思わず身構えたほどでした。
以前、岩沼市のボランティアに参加した時にも大きな余震が何度か来たことを思い出しました。
随分余震が減った首都圏あたりと違い、今も余震が起こり、不安を感じざるを得ない。 復旧・復興が進みどんどん変化していきつつも、今だに多くの不便や不安に直面しているのも事実だということを、余震にまで思い知らされたような夜でした。



<今回の写真アルバム>

   webアルバム

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